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第70話 安倍晴明あべのせいめい (921 〜 1005年)

人知を超えた超能力の伝承をもつ宮廷官吏

安倍晴明という名称を聞かれてどういうイメージをもたれるであろうか。安倍晴明についてはこれまで映画、テレビ、アニメ等多くのメディアによりフィーチャーされ、要するに陰陽師(おんみょうじ)のスーパースターであろう。とりわけ野村萬斎主演の映画『陰陽師』は、最近でも繰り返しテレビで放送され、安倍晴明の陰陽道を心にとめられた方も多いと思われる。

そのスーパースターとしての安倍晴明には、人知を超えた多くの伝承がある。人には見えない鬼が見え、「式神(しきがみ)」(人や動物、妖怪などに変身する鬼神)なるものを従えており、彼らを自由自在に操ることができ、鳥が話す言葉が分かり、龍宮城に行ったこともあるなどは、ほんの一例である。

ところで、平成30年(2018)の平昌(ピョンチャン)オリンピックでの羽生結弦選手(フィギュアスケート)が安倍晴明をイメージした音楽やコスチュームで演じ金メダルを獲ったが、このパフォーマンスで安倍晴明のさらなる存在感を放ったのは記憶に新しい。これらの状況からして、安倍晴明なる人物はフィクションとの印象の方が強いのではないか。

しかし、安倍晴明は実在したのである。彼は、伝承では平安時代中期、延喜21年(921)に生まれた。生誕地は現在の大阪府和泉市とされている。しかし、外に讃岐説、茨城説、その他全国各地に生誕地があるようである。

彼は宮廷の官史として陰陽寮の職に就いた。陰陽寮は律令制度における官僚組織であり、具体的業務は要するに「占い」である。当時、「占い」は社会生活においても重要視されていたが、政治上は極めて重要な影響力を持つ業務であった。他に陰陽寮の業務は天文・時・暦の編纂なども担当していた。安倍晴明が活躍したのは10世紀であるが、それより以前、平安京遷都の頃には、他戸(おさべ)親王廃太子事件〔宝亀2年(771)〕、桓武天皇の父光仁天皇の皇后(他戸親王の母)井上内親王廃后事件〔同3年(772)〕、早良親王廃太子事件〔延暦4年(785)〕などがあった。晴明は、平安時代の複雑な政治状況の中にあっても、陰陽寮の官僚としての業務をつとめあげた。この間、安倍晴明は占いの専門書『占事略決』を著し、『簠簋内伝(ほきないでん)』を編纂したとされている。

彼は寛弘2年(1005)に亡くなったとされている。85歳であり、天寿を全うしたのである。

安倍晴明の墓についても諸説ある。京都市右京区嵯峨門倉町の渡月橋の近くの晴明神社の飛地境内に安倍晴明の墓がある。この墓地は閑静な住宅地にひっそりとたたずんでいるが、京都市内の晴明神社が毎日多くの安倍晴明ファンで賑わっているのに比べ、訪れる人もめったにいない。他にも、長野県木曽町新開清博士にある畑の中に、安倍晴明のものと伝えられる墓が残っており、側には彼の石像も造られているそうである。

安倍晴明は実在の人物であるが、このように生誕地や墓地を含め、彼については多くの伝承があることはこれまで触れた通りである。これら多くの伝承の存在は晴明の死後、彼を祖とあおぐ陰陽師達がいわば自分たちの祖先の権威付けをする為、作りあげていったからではないか。すなわち占いや暦(こよみ)を売ることを生業とする陰陽師達にとっては、安倍晴明を自らの祖と名乗ることが自らの権威付けに役立つことは明らかであろう。それが現代に甦り、彼はスーパースターとなったのである。


フィールドノート

晴明の母が住んでいた「信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)」

大阪府和泉市葛の葉町、JR阪和線「北信太駅」の西南約300mの市街地に信太森葛葉稲荷神社がある。信太森神社(しのだのもりじんじゃ)、葛葉稲荷(くずのはいなり)などともいう。ここにはかつて「信太の森」と呼ばれた森があった。今は人家も多く、昔の森の面影はほとんどない。しかし平安・鎌倉時代には鬱蒼とした森が存在した。清少納言は『枕草子』で「森は信太の森」と日本の森の代表にあげている。当時の都人は、熊野参詣のにぎわいとともに熊野への道中にある信太の森を競って歌に詠んでいる。

実はこの森に安倍晴明の母・白狐が住んでいたと伝えられるのである。つまり、安倍晴明の母は狐ということになる。これにちなむ『葛の葉物語』が有名である。

『葛の葉物語』では、「いまから千年以上昔、阿倍野に阿倍保名(あべのやすな)という男が住んでいた。あるとき、和泉の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまった。その後、白狐は女の人になって、保名のところへ現れ、名前を葛乃葉と名乗った。二人は結婚して安倍神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ)(晴明の幼名)と名付けられた〔出典・世界大百科事典「信田妻」より(平凡社)〕とのことである。

境内では、狛犬の代わりに白狐が対に鎮座して迎えてくれる。この白狐像は、有名な次の歌を筆書きした巻物を口に咥えていた。


恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる

信太の森の うらみ葛の葉(詠み人・出典不明)


境内は広く、たくさんの祠や鳥居がありうっそうとしていた。御堂の側の木立の道には表の葉が1枚、裏の葉が2枚の葛の葉が生えるそうである。御神木の楠は樹齢2千年といわれ、この木は清少納言の歌にも登場する歴史ある古木である。


保名が白狐を助けた「鏡池」

信太森葛葉稲荷神社から車で10分ほど行った和泉市内の王子町に、鏡池がある。ここは安倍晴明の父、安倍保名が白狐を助けた場所と伝えられている。先に述べた『葛の葉伝説』では、白狐の化身、葛の葉姫の子別れの舞台として重要な位置を占める。今は史跡公園として整備されて、池の傍には「信太の森ふるさと館」があり、信太の森の「情報と学びのセンター」として幅広く利用されている。館内には信太の森の自然と伝説に関する展示物があり、ガイドの方が、親切に説明してくれた。

ここで近隣のマップや資料を頂いた。どの資料やマップにもかわいい狐が書かれ、狐はまさに信太のマスコットである。また、この近辺では「きつねうどん」は信太の森の狐にちなんで「しのだ」と呼ばれるそうである。


晴明生誕の地「安倍晴明神社」


安倍晴明神社の祭神は安倍晴明であり、ここが晴明の誕生地とされている。社伝(晴明宮御社伝書)によると創建は寛弘4年(1007)で、代々晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であった。

『摂津名所図会』〔寛政8年(1796)〕には、境内に安倍晴明誕生地と記した石碑、晴明が産湯を使った井戸、晴明の母の葛の葉狐を祀る稲荷社、それに「孕(はら)み石」が描かれている。孕み石は、葛の葉狐が晴明をここで産んで健やかに育てたという伝承から、妊娠、安産を願う人たちの信仰を集めたそうである。しかし幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と石碑のみになってしまったという。

明治時代末期になると復興計画が立てられ、大正10年(1921)に安倍王子神社の末社として認可された。そして社家の子孫である保田家が旧社地の寄進を受け、同14年(1925)に現在の社殿が竣工したとのこと。

また、先の大戦中、焼夷弾が落ちたが幸いにも不発だった。そのため「災難除けの神」としても信仰されることになった。こうしたことも、安倍晴明の力を感じる人達にとっては、益々霊力を感じたことであろう。

興味深いのは境内に占いコーナーがあることである。一角の占い師に尋ねたところ、ここでは今でも毎日占いがおこなわれているということである。そこは晴明を間近に感じる場所のようである。占い師が安倍晴明の子孫かどうかは聞き忘れてしまった。今度訪ねたときに聞いてみることにする。


あべのハルカス

ところで、阿倍野にそびえ立つ日本一の超高層ビルといえばあの「あべのハルカス」である。この「ハルカス」は「晴るかす」に由来し、「晴れて明るくする」意味があると耳にしたことがある。私見であるが、まさに阿倍野に縁のある阿倍の「晴明」を意識したネーミングではないだろうか。担当者に確認してみたいものだ。







2019年2月

和田誠一郎



≪参考文献≫
 ・藤巻一保『安倍晴明―謎の大陰陽師とその占術』(学研プラス)
 ・阿倍野王子神社宮司長谷川靖高編著『阿倍野王子物語―摂州阿倍野の歴史―』(新風書房)
 ・秋山浩三『交合・産・陰陽道・臼―考古学とその周辺』(清風堂書店)


≪施設情報≫
○ 信太森葛葉稲荷神社
   大阪府和泉市葛の葉町1丁目11–47
   アクセス:JR阪和線「北信太駅」より徒歩約5分

○ 信太の森ふるさと館、信太の森鏡池史跡公園
   大阪府和泉市王子町914–1
   アクセス:JR阪和線「北信太駅」より徒歩約20分

○ 安倍晴明神社
   大阪市阿倍野区阿倍野元町5–16
   アクセス:阪堺電車上町線「東天下茶屋停留場」より徒歩約5分)

○ あべのハルカス近鉄本店
   大阪市阿倍野区阿倍野筋1丁目1–43
   アクセス:近鉄南大阪線「大阪阿部野橋駅」すぐ

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