第54話
(1565 ? – 没年不詳)
「ルソンの壺」で秀吉を心酔させた男
「ルソンの壺」なるものを御存知だろうか。『ルソンの壺』というタイトルのテレビ番組もあり、この言葉自体を見聞きされた方も多いだろう。では、「ルソンの壺」とは一体何のことだろうか。江戸時代の作家・武内確斎の作といわれる『絵本太閤記』によると、戦国時代の終わりに東南アジアの島から「壺」を日本に持ち帰った人物がおり、彼こそが堺の商人・納屋助左衛門(通称呂宋助左衛門)であるとされている。
助左衛門は永禄8年(1565)に堺の納屋衆と呼ばれた商人・納屋才助の子として生まれた。長じて彼は、堺を本拠地として東南アジアのルソン島すなわちフィリピンまで海を渡り貿易商を営んだ。文禄3年(1594)には、同じ堺出身の茶人・千利休の橋渡しにより、時の天下人・豊臣秀吉にルソン島で仕入れた「壺」を献上したとのことである。茶人としての秀吉はこの壺を見て心を動かされ、並みいる武将達にもこの壺を強く推奨した。その結果、武将達はこぞって「壺」を注文したという。
実は「便器」だった!?
「ルソンの壺」に目をつけた助左衛門には、先見の明があったことになる。秀吉の庇護を受けて富と名誉を手にした彼は、華美な生活を好んだそうである。そうしてあまりに贅沢をしたため、慶長3年(1598)には、石田三成からありもしないことを悪しざまに告げ口され、秀吉の怒りを買って邸宅没収などの処分を受けることとなった。
ところで、一説には秀吉に献上した「ルソン壺」は、実は宝物などではなく、あろうことか便器だともいわれている。であればこのことが秀吉の心底の怒りをかった本当の理由かもしれない。ただ、助左衛門は事前に情報を察知し、直ちに行動した。壮麗な邸宅や財産の多くを菩提寺である堺の大安寺に寄進し、自分はルソン島へと脱出したのである。その後、彼は慶長12年(1607)にルソン島からカンボジアに渡り、ここでもカンボジア国王の信任を得て、日本から訪れる商人の元締めとなった。助左衛門は、かの地で再び商人としての成功を得たのである。彼は日本には戻ることなく同地で没したといわれるが、没年は不詳である。
昭和53年(1978)のNHK大河ドラマ『黄金の日々』は、城山三郎作による助左衛門の一代記であり、放送当時は絶大な人気を博した。助左衛門の日本人離れした生き方に憧れる人も多くいたことであろう。今もDVDで見ることができる。
ところで、堺市博物館の吉田学芸員によると、呂宋助左衛門が利休と出会った時期などが合わず、また助左衛門の存在を証明する文献もなく、「残念ながら彼の存在はフィクションと考えられる」と語っておられた。
フィールドノート
「ルソンの壺」のレプリカを発見
南海本線「堺駅」の駅ビルにある観光案内所の前にガラスケースがあり、そこに「ルソンの壺」のレプリカが飾ってある。高さ30cmほどの褐色の壺で、壺の口の周りには小さな突起があり、どこか気品があり艶がある。「現代美術の父」と呼ばれるマルセル・デュシャンは、既製品の便器に署名しただけの物を芸術作品として発表し、世界に大きな衝撃とインスピレーションを与えた。このケースの中の「ルソンの壺」もしかり。見方によっては便器のようでもあり、マルセル・デュシャンのエピソードを彷彿させる。
この観光案内所は目立たないが、南蛮貿易で栄えた中世の堺の面影を今に伝える工夫があり、堺駅周辺の観光拠点になっている。そして、この壺の前を毎日多くの人が行き交っている。
呂宋助左衛門の実在説も
堺市南旅篭町にある大安寺は、室町時代初期に建立された臨済宗の大寺院である。隣には利休らとの関係で有名な南宗寺がある。創建時は町の中心に位置し、広さは2町(6千坪)、6つの塔頭を有していたそうである。ところが元和元年(1615)の大坂夏の陣により寺は焼亡。その後、慶安年間(1648〜1651)になって現在の南旅篭町で再建した。
ところで、前述のとおり呂宋助左衛門は日本脱出の際、壮麗な邸宅や財産を大安寺に寄進したとされていることについて、同寺の塚本住職に伺った。そこで塚本住職の若い頃の研究である『大安寺史』を拝見させていただいたところ、元和元年(1615)に全焼した大安寺を再建する際、納屋助左衛門の居宅が売りに出されていることを知った同寺がこれを買い取ったそうである。買収資金は182人の堺町人が浄財を寄せたとのことで、全員の名前を書いた朱塗りの銘板が大安寺に保存されているそうである。また、昭和50年代の読売新聞を見せていただいたところ、関西大学の泉澄一先生が、堺に納屋助左衛門がいた時代の多くの本や資料を調査した結果、納屋助左衛門の実在を確信されているとの記事があった。実にうれしい見解である。塚本住職もこの記事を信頼されているとのことである。
大安寺には室町時代の歌人・牡丹花肖柏の供養墓や、利休好みの名品「虹の手水鉢」など、堺の文化の深さを物語る多くの寺宝がある。なかでも本堂内部4室にわたって描かれた17世紀前半の狩野派による障壁画は金色に着色、紙本水墨で緻密、華美に描かれた見事な作品で、重要文化財に指定されている。ただし、特定日以外は非公開であることに注意されたい。
遥かルソン島に思いを馳せる
堺の大浜にある堺港には、日本最古の木造洋式灯台として国の指定史跡になっている旧堺灯台が建っている。港にはレジャー船も多く停泊しているが、灯台は彼らの安全を願っているようだ。
この堺港のプロムナードの途中にステージのようなところがあり、海に面して呂宋助左衛門の堂々たる銅像が立っている。その像は海を見つめ、はるかルソン島に想いを寄せているように見える。前述の大河ドラマ『黄金の日々』の放送を記念して堺市民会館の敷地に立てられていたが、同館の建て替えに伴い、ここに移設されたとのことである。この日はたまたまかもしれなかったが、このプロムナードを訪れる人はほとんどいない。案内図も私の見る限り全くなかったことが少し残念である。
2017年8月
(2017年11月改訂)
和田 誠一郎
≪参考文献≫
・塚本宗達『大安寺史』(未刊行)
≪施設情報≫
○ 堺観光案内所
堺市堺区戎島町3-22-1
アクセス:南海本線「堺駅」ビル1階
電 話:072-232-0331
○ 大安寺
堺市堺区南旅篭町東4丁-1-4
アクセス:阪堺線「御陵前駅」より徒歩約10分