国際食学料理研究家
フードフィロソフィスト
大阪樟蔭高等学校教育アドバイザー
食育ハーブガーデン協会理事長
大阪樟蔭女子大学英文科卒。結婚・育児のかたわら「食」の専門家への道を歩きはじめた。ニューヨークやヨーロッパ、タスマニアなど豊富な海外生活のなかで多くのパーティーコーディネートに携わり、研鑽をつんだ。
2000年、「キッチンカンバセーション」を設立。ワールドワイドなネットワークを生かして、食のプロデュース活動を多角的に展開。
2009年もう一度原点に立ち戻って新たに見つめなおし、未来に向かって歩みだす礎となる「食育ハーブガーデン協会」設立。
「未来に紡ぐすこやかな食と暮らし」を願いとし、食育ハーブガーデンの実施や食育ハーブクッキングなどのボランティア活動を通じて食卓のフィロソフィーを提唱し、全国的な広がりとなる。
2011年よりスタートした、大阪樟蔭高等学校「健康と栄養コース」の教育アドバイザーとして、学科の総合プロデュースを行い話題となっている。
NHK「きょうの料理」や雑誌など様々なメディアでも活躍中。
料理教室「リスタ・クリナリースクール」では世界の家庭料理の紹介とともに、次世代の料理研究家の育成も目指している。
主な著書に「すぐにできる美味しい圧力鍋料理」(誠文堂新光社)、「きれいに暮らす」(プラネットジアース)、「おいしい!楽しい!グッド・ギャザリング」(文化出版局」「おいしいお茶のひと時を…」(旭屋出版MOOK)、「トマト美人のごちそうメニュー」(主婦と生活社)など。
眠い目をこすりながら、関西空港からマレーシアへ。20年ほど前に主人の仕事で、シンガポール、マレーシアによく行くことがありましたが、それ以来です。
5時間ほどのフライトで降り立ったクアラルンプールは、アジアのむっとした湿気と暑さ、そして独特の香辛料の匂いが体を包みました。「懐かしい。この空気。東南アジアにきた感じ」。でも、20年前のクアラルンプールとは違い、空港はいろんな人種の人達が行き交い、正に多民族国家、グローバル化の波を感じます。
マレーシアは人口凡そ280万人、マレー系 65%、中華系 25%、インド系8%と多民族国家。イスラム教を国教とし、国策として「ハラール ハブ」政策をとり、中東と東南アジアのビジネス ハブを目標としています。今回、その「ハラール ハブ」の政策の目玉「ハラール食見本市視察」のための3泊4日のクイック トリップ。「ハラール」とは、前回既にお話ししたように、「イスラム教の経典 コーラン」にある「食」のルール。豚及び豚由来のもの、酒類及び酒由来のものを食しないのです。そのルールに則した事や物が「ハラール」、一方そのルールに反する事や物を「ハラーム」と言います。イスラム教は7世紀始めに興った宗教ですが、その経典は固く守られてきました。旅行中、金曜日の礼拝を視察する事が出来ました。クアラルンプールの二つの川コンバック川とクラン川が合流する三角形のポイントにクアラルンプール最古のモスク、マスジット・ジャメがあり、この界隈が街の発祥の地なのです。そのモスクに、金曜日は男性のみの礼拝なので、午後1時頃、3000人近い男の人達が静かに次々と入って行きます。その中に首相の姿も見られました。神の前では皆平等なのです。空の青さと白いモスク、コーランのお経が響く清らかな風が私には新鮮な衝撃でした。
2日目は朝から「ハラール食見本市」へ。緑深いクアラルンプールの街にあるコンベンションホールは、マレーシアの経済の好調さを物語るように街の景観を生かした高層ビル。ハラール見本市の出展国は、中国、韓国、インドネシア、台湾、タイ、ブラジル、ベトナム、オーストラリアなど東南アジアの国々、ヨーロッパからポーランド、フランスなど20か国あまりの国々がブースをもっている。「ない!」。日本のブースは残念ながら見当たらない。台湾などは、「美味しいごま」と日本語で書いたごまクリームを並べて、私にも薦めてくれるほど積極的に売り込んでいます。オーストラリアは牛肉。オーストラリア国内11カ所に「ハラール認定協会」があるので、ブラジルと競って世界のイスラム教国をマーケットを独占しようと意気込みを感じます。その他、化粧品、加工食品(レトルト食品)、調味料、薬品、銀行などの金融機関もブースを持ち、世界からやってくるムスリムのバイヤーに笑顔を振りまいています。マレーシアは「ハラールハブ」ビジネスの「食」にかんしては、トレーサビリティ、オーガニック、ヘルシー、で付加価値をつけて、非ムスリムの人々にもマーケットを広げようと意欲満々。今まで遠く感じていた世界のイスラム教国がぐっと身近になり、こんなにたくさんの国々ー中近東、北アフリカ、東南アジアーがあり、しかも経済成長率が高く元気が良くて購買意欲に溢れているという実感が湧いてきました。世界は動いている!
松井さんの「都国際ツーリスト」のお力で、マレーシア観光局の方々と会食の機会がありました。私と同行されている方達は、日本の優良企業からの視察チーム。その事もあって政府筋が動かれたのだとおもいますが、マレーシア観光局は日本からの観光客の誘致も勿論目的の一つですが、マレーシアから日本へ観光客を送りたいと考えているとの事。しかしながら、日本の受け入れが十分でなく、イスラム教の人達が心地良く旅出来る環境作りを急いで欲しいとの要求もありました。イスラム教を正しく理解して「ハラール食」の飲食店、ライフスタイルを尊重した「お祈りの場所」を作るなどの配慮が必要なのです。
女性は私だけなのとビジネス風でないので何かご意見をと言われて「この度の旅で「イスラム教」への理解が深まりました。体験する事が何よりです。反対にマレーシアからの人たちに「ハラール和食」ー日本の食材、調味料、日本の料理法、日本のテーブルアート、日本の精神性なども含めたーの教室をしたいとおもっています。相互理解を民間レベルで楽しく築いて行きたい」と偉そうに言ってしまいました。でも、本当にそう思っています。
帰国の朝、私の朝食のテーブルの隣に家族5人、女の子が2人、5~6才の男の子が1人とお父さんとお母さんで楽しそうにお食事しています。その家族の落ち着いて、温かくて豊かな表情が私を癒してくれます。私が思わず会釈すると、彼方も「ハイ」と返ってきました。そこへ、松井さんがやって来ました。ムスリム同志の挨拶をするとハグしあって「ブラザー」と呼び合いました。
「イスラム教」の国々は赤道直下の国が多く、日本のように四季があり、変化にとんでいるわけではないのです。厳しい気候、産業や農業も育ちにくい環境の中で「イスラム教」は生まれました。「禁欲的なライフスタイル」は必然性があったのでしょう。昔日本にあった「足るを知る」心。絶対の神に頭を垂れて真摯に生きてる力は力強いものです。
日本は今まで、効率性、合理性、収益性を追求して成長してきました。又、戦前の宗教観に間違いが生じた反動で「神」を語ること、宗教を全面に受ける事をタブー視して来たきらいがありますが、今世紀は日本が新しい感覚を養ってそれと対峙しなければいけない時になったのだと思いました。
大阪から始まった「ハラールへの食文化」の旅は始まったばかり。大阪が受け入れてきた多様に広がる「食文化」の理解力を今こそ発揮し、真のグローバル化の一翼を担う時です。
それにしても、あのお母さんの穏やかで優しい物腰、子供たちの無邪気な笑顔。いつまでも心に残り、あたたかな気持ちで帰国の途につきました。
マレーシアのみならず、東南アジアは屋台天国。そこにいつもあるのがサティ。今回は、ピリッとスパイスが効いたビーナッツソースのビーフ サティを紹介します。
むしむし暑い日に、スカッとする一品です。