おでんのルーツは関西生まれの味噌田楽
今では全国に浸透した「おでん」だが、
関西と関東では入る具材が違ってくる。
関西の料理名が関東を凌駕したのが「すき焼」なら、その逆のケースが「おでん」であろう。
関西では、ほんの数年前まで、おでんといえば、味噌田楽がイメージされていた。
それもそのはずで、語源を調べると、おでんは室町期に出現した味噌田楽とある。漢字で書くと、”御田“となり、女房言葉で田楽の「でん」に、接頭語の「お」を付けたものだ。
このおでんなる料理が西で派生し、東へ伝播した。
上方では具材を昆布ダシの中で炊いて、甘味噌をつけて食したものだが、なぜか江戸では醤油風味のダシで煮込んでしまっている。その背景としてあるのは江戸期に醤油が開発されたこと。江戸から比較的近くにある銚子や野田で醤油の醸造が盛んになったためにそれが用いられたのであろう。
江戸に輸入された味噌田楽は、鰹ダシに醤油やみりんを入れた甘辛いダシで煮込む形へと変化した。それが屋台で売られたために、江戸の人達は、関西のおでん(味噌田楽)より、煮込んだ関東のおでんを好んで食べたと言われている。
関東で生まれの煮物だから「関東煮(かんとだき)」
関東の醤油ベースの甘辛いダシで煮込むスタイルが、関西に逆輸入されたので関東煮(かんとうだき)と名づけられた。つまり関東生まれの炊いた料理ということだ。しかし、関東煮の方は、江戸風味の醤油の濃いダシ汁ではない。薄口醤油が主体の薄味で、この点が少し違っていた。
一時期、関東のおでんが廃れた頃があったそうだが、関東大震災が原因で復活する。一説では、関西から来た人達が炊き出しを行い、いわゆる関東煮を作ったので、それ以降、関東のおでんが関西風の味付けになったと言われている。
何はともあれ、震災以降に関東でおでんが復活した。そして、関東ではおでん、関西では関東煮と表現を変えながら、日本の二大消費地で近年まで食べられていったのである。
いつのまにか関東煮が姿を消す
似たような食べ物だが、関東では「おでん」、そして関西では「関東煮」と呼ばれていた時期は長い。しかし、この言葉の均衡が破られたのがコンビニエンスストアで「おでん」を販売し始めてから。
東京に本社を持つコンビニエンスストアは、具材を入れて煮たこの料理を当然、「おでん」としか認識していない。それが全国販売されたために、いつしか「おでん」なる言葉が一般化したのだ。そして、おでんと関東煮を分けていた関西の言葉の文化まで崩れ去ってしまった。すき焼とは違い、関東煮がおでんに凌駕されたのである。今では、関西でも、「おでん」のルーツとされる味噌田楽のことを「おでん」と呼ぶ人は少なくなった。
ところで、関東と関西では具材も違ってくるのを知っているだろうか。コンニャクや大根、ゆで卵などは共通だが、関東でははんぺんやちくわぶ、筋蒲鉾が入る。中でもちくわ型をした小麦粉で作る「ちくわぶ」は、全く関西人にはなじみがない食材だろう。
一方、関西では丸天を使うのが特徴。その他、鯨の皮から鯨油を絞り、残ったものを乾燥させた「コロ」は、大阪ならではの具材。商業捕鯨禁止以降、なかなか見られなくなったが、「さえずり(鯨の舌)」もかつては定番の具材であった。タコなども大阪らしい具材のひとつである。
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