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うどんすき

大阪名物となった「うどんすき」

うどんが主役の鍋「うどんすき」、大阪人なら誰もが知る大阪の味だ。その発祥の店として知られているのが美々卯である。「うどんすき」という言葉は、いまやあちらこちらで使われているが、美々卯が生み出し、商標登録もしている。

はじめから、鍋にうどんを入れ、かしわや穴子、海老、ハマグリなど14〜15種類の具材と共に煮込むのがうどんすきのルール。さらに、季節の具材を追加し、旬を楽しむ。春はワカメやタケノコ、夏はハモ、秋には松茸など、鍋に加わる具材は様々だ。「中には、スッポンのうどんすきという贅沢な味も試してみたことがありますよ。生姜と酒をたっぷり入れるんです。また、桃の節句には、ひし餅を入れたりして、季節感のある鍋なんですよ」と三代目店主(現・相談役)の薩摩卯一さんは話す。 発祥の店である美々卯では、創業当時の味を守っている。ダシは、メジカを中心に、ソウダ節や本節からダシを採り、塩と薄口醤油、極少量の味醂で上品に味付ける。「野菜の甘みや魚介や鶏肉からの旨みがダシを美味しくしてくれます。そのダシでじっくりと煮込んだうどんが主役なんです。勿論、ダシもご馳走ですよ」と卯一さん。

さて、主役のうどんは、煮込んで食べるため、少し太めで、何よりもツルツルとした舌触りと喉越しが重要なポイントだ。「太すぎてもダメなんです。コツコツと歯に当たらない程度。だけど、コシがある。このバランスが大切です」と卯一さんは言う。  職人の仕込みは朝6時から始まる。2時間かけてカツオ節を削り、土のついた新鮮な野菜を丁寧に洗い、皮を剥く。白菜や人参などはダシで下茹を施す。「納得のいく味を毎日同じ状態で作ることが大切なんです」とこだわりを語る卯一さん。

うどんすきは蕎麦屋から生まれた

美々卯の歴史は江戸時代末期に遡る。堺の魚問屋から始まり、後年、200年続いた料亭旅館「耳卯楼」(現・美々卯堺店)となる。その末っ子であった薩摩平太郎さんが戎橋北詰に、大衆蕎麦屋を始めたのが大正14年、これが美々卯の始まり。「うどんすき」で名を馳せる美々卯が蕎麦屋から始まったということは、大阪人にもあまり知られていない。

名物となったのは温盛りのざるそばをふたつのうずら卵とダシで食べる「うずらそば」。もともと堺地方では、蕎麦を温盛りで食べる食文化があったからだ。昭和5年発行の料理屋紹介の本(著者:村瀬忠太郎)にも大阪の旨い蕎麦屋として、「うずらそば」と「穴子そば」が紹介されている。そのため、現在も蕎麦へのこだわりはひとしおで、毎日石臼でそば粉を挽く。  
かしわ(関西地方でいう鶏肉のこと)やシイタケ、蒲鉾や玉子を土鍋で煮て食べる鍋焼きうどんと、中国のホーコー鍋にヒントを得て、蕎麦をしゃぶしゃぶ風に食べるという発想が生まれたのがきっかけ。家族や友人でワイワイと鍋を囲んで食べるうどんすきが完成したのは昭和8年頃とされている。当初は、エンタツという炭火で温める鍋を使っていたため、火加減の調整ができずに、苦労したという。  
この頃から、美々卯は、ミナミを中心に人気を集め、暖簾分けなどで店舗が増えていったのだそう。

戦後、多くの文人が愛した船場の味

しかしその後、戦争が始まり、昭和16年頃からは小麦粉が手に入らず、食糧統制がなくなるまでの十年間ほどは、十分なうどんや、蕎麦ができなかったと卯一さんは当時を振り返る。
「戦災で戎橋にあった本店はなくなってしまいました。復員の数カ月前に父が亡くなり、母とふたりで今の本店となっている北店の復活に力を注ぎました」、卯一さんが21歳の頃の話だ。2代目が残してくれた資金で、復員後2カ月で店を再開。しかし、修業経験の少ない若き卯一さんの奮闘は、そこから始まった。まずは、蕎麦の勉強をするために、信州大学や東京大学の先生に教えを請い、蕎麦の研究から始めたのだ。素材は勿論、手打ちにこだわり、名物のうずらそばの復活までには3年を要した。現在でも、国産の蕎麦にこだわり、すべて自社で製粉している。
「うどんすきに入れる多彩な具材もいいものが揃いませんでした」と卯一さんは話す。うどんすきが完全に復活したのは昭和27年頃になってからだと言う。「その頃、岩手でわんこ蕎麦を食べたんです。にぎわい蕎麦といって、蕎麦はいろいろな薬味や具材で食べるのがありました。ちょっとずつ色々を楽しみながら、食べられるうどんすきとは共通した点があるなと思ったんです」と卯一さんは話す。

そんな時代だからこそ、家族が楽しめるハレの日の食事の場として繁盛したのだろう。素材に妥協を許さず、味を守り抜いた。そして、多くの文人にも愛された味としても、有名だ。谷崎潤一郎はそのひとりで、書に「田舎蕎麦だが、いつも待たされる。でも、なかなか旨い」といった旨を残している。
その結果、バラックひとつで始めた本店も、増築を重ね、現在は100坪を越える。現在は、関西のみならず、東京や名古屋にも店を構える。「どれだけ時代が変わっても、厳選した上質な素材を使用する姿勢に変わりはありません」と卯一さんは熱く話す。


うどんすき一人前3600円。コースも各種ある。彩りよく、食欲をそそる。


うどんが主役だからこそ、うどんすき。少し太めでほどよいコシがある。


三代目店主(現・相談役)の薩摩卯一さん。会長となった今もダシの目利きを欠かさない。


蕎麦に造詣の深い卯一さんは、蕎麦に関する著書もあるほど。


エントランスの小あがりは、戦後、再開店した当時のままだという。

今では、地方発送も行っている。詳しくはHPへ。
   

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11:30~21:30 (LO 20:30) / 日祝 休
地下鉄御堂筋線淀屋橋駅より徒歩5分、本町駅より徒歩5分
TEL:06(6231)5770 
http://www.mimiu.co.jp/
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