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関西・大阪21世紀協会は「文化力向上」「関西・大阪のイメージ向上」「水都大阪まち育て」の三本を軸に「関西・大阪の文化力向上」を目指します

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新世界の精肉店の傍らにできた洋食屋

道頓堀に店を構える「はり重」は、大阪を代表する料理屋の一軒である。その歴史は古く、戦前にまで遡る。
「はり重」の歴史は、お肉屋さんから始まった。堺の小さな町で創業し、その数年後、新世界に居を移したのだそう。「とても小さな“町のお肉屋さん"だったと聞いています」と話すのは、二代目店主の藤本稔さん。「少しずつ、大きくなっていったようです。牛肉の専門店だったそうです」。


すき焼き一人前7050円(税・サ込み)~。
約90年という歴史の中で、その味わいは変わらない。

1919年、その精肉店の傍らで、すき焼きを出す食堂を開店させたのが、飲食店としての始まり。道頓堀の袂に座を構えたのは、昭和23年、戦後になってからの話だ。当時、道頓堀は多くの芝居小屋や、江戸時代から続く五座の名残りがあり、芝居好きの食道楽が集う地だった。
企業の社長さんや若旦那が、ハレの日のご馳走として通ったという「はり重」は、芸人や文化人の中にも、この味を愛した人は多い。藤山寛美さんや直美さんもそのひとりで、仕事で地方に行き、大阪に帰ってくると必ずと立ち寄ったのだとか。正に、大阪の味を代表する一軒ということなのだろう。
「道頓堀は変わりましたが、うちは変わりません」と藤本さん。「いらっしゃいませ」と下足番が迎えてくれるスタイルも昔のままだ。建物も味も当時のままで、今では、風情ある佇まいが、難波のシンボル的存在となっている。
「はり重」は4つの顔がある。ひとつは、精肉店。難波の真ん中で精肉が売られているのも、ならではの光景だ。そして、ビフテキを名物とした洋食レストラン、すき焼きやしゃぶしゃぶを楽しむ和食店があり、その横には、ビーフカレーなど、軽食を気軽に楽しめる食堂があるのだ。
「いつも」は南側のカレーショップで、「ときどき」一階の洋食レストランでビフテキやビフカツを、そして「たまには」二階のお座敷で奮発してすき焼を—。気分と懐具合いに合わせて、牛肉を様々な料理で堪能できる。「牛一頭を仕入れ、肉を余すとこなく大切に使います」と藤本さんは話す。この言葉を裏付けるように、今でも、「ええ肉、食べたい」と思えば、「はり重」に行くというファンも数多い。

関東の牛鍋、関西の鋤焼き

様々な形で牛肉を提供する「はり重」だが、中でも、名物となっているのが「すき焼き」だ。
そもそも、すき焼きの歴史は、明治の幕開け、そして、文明開化とともに生まれた。豊臣秀吉や徳川家康の時代から、キリスト教の禁教とともに、牛の肉食を禁じられていたが、長い年月を経て、開国と共に肉食は一挙に公然化されてゆく。その後、明治5年には、肉食奨励へと転じてゆく。文明開化の中で、当時の食文化を記した「安愚楽鍋」の中に、すき焼きの前身とされる「牛鍋」が登場している。牛肉を煮て食べるという独自の文化で、牛肉と野菜と味噌や醤油を入れて煮た料理が牛鍋で、これは関東地方で生まれた。それに対し、田畑で使う鋤(すき)の刃の上で、牛肉や野菜を焼き、醤油を加えたのが、関西風すき焼きの由来とされている。


2代目店主の藤本稔さん。
「この味を守っていきたい」と話す。
関東風の“煮る"に対し、関西では“焼く"というスタイルが一般的だったようだ。東京で、牛鍋がすき焼きと呼ばれるようになったのは関東大震災以降のことで、その頃から、割下を使うようになっていった。現在では、割下を使うのが関東風、砂糖や醤油をそのままかけて味を付けるのが関西風の特徴となっている。
牛肉をすき焼きというスタイルで食すのは日本の独特の文化であり、そのため、煮ても柔らかい牛肉の交配や、肉質の改良が各地で研鑽され、全国各地で様々なブランド牛が飼育されていくことになったのだ。
 「美味しいすき焼きに仕上げるために、最も大切なのは肉の質なんです」と藤本さんは言う。精肉を扱うだけに、肉には自信がある。産地や銘柄にはこだわらず、すき焼きにして、一番旨い肉を仕入れるのだとか。今でも、店主自らが直接足を運び、目利きをしているというから、そのこだわりは正真正銘だ。すき焼に使うのは、肉質が柔らかく、ほんのり甘みのある黒毛和牛の雌のみを貫いている。

創業当時の味を守る

しかしながら、「はり重」のすき焼は、実は割下を使った関東風。「砂糖と醤油のみで直接食す関西風は、大阪人にとっては家庭の味なんです。醤油で味を付けるので、濃い味になります。だから、失敗もないし、安い肉でも美味しく食べられるんます。でも、料理屋のすき焼は、柔らかい上質の肉を使っているので、濃い醤油味で食べたら、もったいない。肉の旨みを引き出せる割下を使うようになりました」と藤本さん。確かに、藤本さんが言うように、大阪の飲食店では、関東風の割下を使う店が多いのは、こういった理由があるからだろう。創業当時から、魚介は一切使わず、牛スジからダシを採った割下の味は変わっていないのだそう。「昔からのレシピを昔からのやり方で毎日作っているんです」と藤本さんは話す。牛スジを6時間炊いたスープを一晩寝かせ、余計な脂分を除き、醤油、砂糖、酒、みりんの書く調味料を軽く合わせる。調味料に至っても、長年同じところのものを使っているのだそう。


創業間もない頃の写真。
牛肉は、少し厚めにスライスしているのが、「はり重」の特徴だ。それ故、食べ応えもあり、肉の旨みをじっくりと楽しめる。一人前は180〜200gとボリュームがあるのにも、理由がある。「牛肉を食べたわ~、と実感してほしいんです。お肉でお腹いっぱいになってほしいと、先代は常々言ってました」と藤本さんは話す。
鍋にほんの少しの割下を注ぎ、沸いたところにさっと1枚の肉を入れ、色が変わったらすぐに溶き卵をつけて食す。「卵が味をまろやかにしてくれるんです。せっかちな大阪人がアツアツの肉をすぐに食べられるように工夫したのかもしれませんね」とは、藤本さんの弁。また、「より高級に見せたかったのかもしれません。当時は、卵は贅沢品でしたらか」。確かに、ハレの日の食事として、牛肉と卵の組み合わせは豪華なもので、ご馳走と言うにぴったりだ。
数枚の肉を食べたら、続いて、白ネギ、三つ葉、焼き豆腐、糸こんにゃく、シイタケなど加えていく。関東風とはいえ、割下で煮込むというようには、割下は味付け程度にしか使わない。そういった意味では、関西風すき焼きとも、関東風すき焼きとも違う。現在の大阪の料理屋では、このスタイルが一番多いおようだ。
「すき焼きには、色んな説があるかもしれませんが、好きなように作って、好きなように食べるから、すき焼きって言うんちゃいますか」と藤本さんは笑顔で、締めくくった。


昭和23年に建てられた当時の建物は今も使われている。
今では、道頓堀のシンボルに。

大阪市中央区道頓堀1-9-17
11:30~22:30 / 火(祝日、祝前日の場合は営業)
地下鉄各線難波駅より徒歩1分
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