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第33話 石田梅岩いしだばいがん(1685-1744年)

商人の道徳観を説いた「石門心学」の祖

石田梅岩は江戸時代中期の思想家である。生まれは現在の京都府亀岡市で、石田先生事蹟に「父の名は浄心といい、その教育は厳しくただしかった」と記されている。幼少期に厳しく躾けられた梅岩は、父からはもちろんのこと、生家近くの遊び場所だった八幡神社の神官や春現寺の禅僧から、思想形成上大きな影響を受けた。11歳で京都に丁稚奉公に出、両親の教えを守り店の主人を親と思って精進したが、15歳の時に奉公先が倒産し亀岡に帰っている。実家にいるときも勉強をし続け、23歳で再び京都に奉公に出たときには、「神道を介して、人の人たるべき道を説きたい」という志を持っていた。京都の奉公先から母親の看病のために亀岡に帰っていた時、「性は是れ天地万物の親」と悟ったと言われている。しかし、儒仏老荘の学に秀でた了雲老師から「自性見識の見が残っている」と指摘を受け、再び尽心知性の工夫を続け、ある日我執を捨て天下一致の境涯に到達した。

悟りが開けたのは机上の勉強だけでなく修行によるものであると説いている。

「若し聞く人なくば、たとえ辻立ちして成りとも、わが志を述べん」宝永の大火で京都市中が灰燼に帰し、お陰参り、神社信仰が盛んだった時に、梅岩は世を正そうと辻に立ち説法を始めた。その後、享保14年(1729)に京都車屋町通御池上ル所東側(現在の二条御池駅東側)の借家にて私塾を開く。江戸時代でありながら士農工商の身分にかかわらず、また、男性だけでなく女性も簾を隔てて聞けるようにし、年齢の区別もなく無料で(「何月何日開講、席銭入不申候、無縁にても方々は無遠慮御通御聞可被成候 女中方はおくへ御通可成候」と書かれた行灯を掲げていた)、日々生きていく拠り所となる実践的な教えをわかりやすく語りきかせた。その後、手狭になり堺町通り六角下ル東側(現在の中京区堺町通り蛸薬師上ル東側)に移転している。

心学の教えは子どもたちのなかにも息づいていた。いろは歌孝行鑑という資料には、子どもが教えをもらっている絵がある。教えをかるたにして楽しみながら学んでいたようだ。

「倹約・正直・勤勉」を柱とする梅岩の教えは、弟子の手島堵庵(てじまとあん)によって「石門心学」と名付けられた。さらに、梅岩没後は弟子たちによって広められ、全国に約180の講舎ができた。

石門心学は、商人の利益は武士の禄と同じと説き、商人の家業を支える商人道徳となり、近代日本の経済人の理論的、精神的な支柱となった。また、日本的経営を支えた経済理論として、海外からも注目されている。日本で初めて消費税を導入する決断を下した竹下登元首相は、昭和63年(1988)の所信表明演説で、消費税の正当性を訴える不退転の決意を「たとえ辻立てして鈴を振りながらでも」と表現したが、このフレーズは前述の石田梅岩の言葉を典拠にしたものとして有名である。

梅岩は2冊の著書を残している。京都の梅岩と田舎(亀岡を指すと言われている)の人のやり取りという形で人の心や世の中を啓蒙した『都鄙問答(とひもんどう)』と、「倹約は家庭をととのえるだけでなく、国家社会を平和にするための大切な道である」と説いた梅岩の人生哲学の総まとめともいえる『斉家論(せいかろん)』である。


関西経済人が注目する梅岩の教え

心学明誠舎

江戸時代に約180あった講舎は、明治に入り大阪の心学明誠舎のほか、東京と京都だけの活動になったが、最近は亀岡、京都、大阪をはじめ数か所で活動が始まりだした。大阪では梅岩没後、天明5年(1785)に南船場飾屋町心斎橋に井上宗甫(いのうえそうほ:三木屋太兵衛)が自宅を開放して会輔(講義)を始めた。それが心学明誠舎の始まりである。

寛政4年(1792)、南区金田町(現在の大阪市中央区博労町2丁目)に舎屋を持っていたが、明治5年(1872)の学制発布により金田小学校に舎屋を寄贈した。その頃は財力が豊かで、明治14年(1881)に新築して移ったのが、「心学明誠舎跡」の碑がある現在の同区島之内1丁目である。現在は路面電車もなくなり、道路向かいに南郵便局もできて町の様子はすっかり変わってしまったが、駐車場の端にひっそりと佇む石碑が、昔、ここで庶民が誇りを持って学んでいたことを伝えている。

以来、昭和13年(1938)までここに舎を構えたが、同所が電車道にあたるため、静寂を求めて南区竹屋町(大阪市中央区久太郎町辺り)に移転した。

心学明誠舎は、明治38年(1905)3月20日に文部省(当時)の社団法人第1号に認定された。戦争で講舎が焼けたり後継者が絶えかけたりしたが、民の力で復活し、現在は1年間に約10回の講演会や勉強会を行い、石門心学の教えを伝えている。また、秋には関西の経済界に向けた講演会を催し、企業への石門心学普及にも力を入れている。


梅岩ゆかりの地を巡る

亀岡市の梅岩生誕地に梅岩のお墓があり、今もここに住まわれる子孫の石田二郎氏が守っておられる。

また、石田梅岩、手島堵庵、岡本孝道のお墓は、凛とした空気が感じられる大蓮寺にもある。大蓮寺は大阪府立天王寺高校発祥の地であり、門をくぐると大きな柏葉紫陽花が迎えてくれた。

心学明誠舎が明治維新後の政府の方針で神道の一派(神道大成派)と位置付けられてからも、岡本孝道が活動を怠らず継承した。舎員のひとりである筆者は、三人の師に石門心学と心学明誠舎を継承していただき、大変な努力のおかげで現在に至っていることに感謝をして手を合わせた。

一方、京都の鳥辺山にも梅岩や門弟達のお墓がある。大谷本廟(京都市東山区)から坂を登り、大きな木を目印に進むとそれはあった。お墓を守る方に聞いたが、一説には楽行舎が石田梅岩を葬ったともいわれているが、誰が建てたのかは分からなくなっているらしい。梅岩が亡くなった時に葬られた墓はこちらのようだ。

最近、京都の梅岩講舎跡に碑が建てられた。地下鉄烏丸御池駅交差点の一筋東の道を北へ下るとそれはある。自分たちの地域に梅岩先生がいらしたことを誇りに思う方々の強い思いが京都市を動かし、建てられたと聞く。梅岩の教えが息づいていることを感じるうれしいニュースであった。また、亀岡市には、財団法人石田梅岩先生顕彰会がある。昭和9年(1934)、村を挙げて結成された石田梅岩先生顕彰会を引き継ぐ団体で、毎年9月24日の命日には、墓前祭と講演会が行われ、地元の小学生も参加することで教えが継承されている。また、JR亀岡駅に石田梅岩像が建てられ、亀岡が石田梅岩の生誕地であることをアピールしている。

さらに、石田梅岩が生家から京都に通った道が整備され、石田梅岩道と名付けられている。全長3.4キロメートル、今なお山深いがそう険しくはない。桜峠を越え山の緑や鳥の声を楽しみながらの旅である。梅岩はどんな思いでここを歩いただろうと想像するのも、また楽しい。梅岩道を歩いた後、梅岩の生家から少し大阪寄りにお蕎麦屋さんを見つけた。ここは生家のご親戚ということで、やはり梅岩の掛け軸がかかっている。ここにも梅岩は生きている。


現代商人の心に

現代の商人にも石田梅岩の教えが生きている。例えば、京都にある「半兵衛麩」はその一つである。当主の11代目玉置半兵衛氏は、著書『あんなぁよおぅききや』で、今日の言葉、しにせの遺心伝心としてご尊父様からの日常の教えを伝えている。中でも印象に残るのが、馬の話である。暑さに倒れた馬を助けたことから、「どんな場合でも、困ってはる人にだけでなく、自分は今、この人に何がしてあげられるか、何をしてあげたら喜ばはるか、その人の立場になって考えてあげることが大切なんや」と記されている。肝に命じたい言葉である。半兵衛麩三代目のご子孫は、石門心学の教えに傾倒し、梅岩が亡くなった後、梅岩の住んでいた家などを預かり引き継いだ杉浦止斎(すぎうらしさい)の弟子であったそうだ。杉浦止斎は梅岩死後、たびたび大坂に講義に出かけていたが、実際の運営を飯岡義斎(いのおかぎさい)に任せている。この人は頼山陽の母方の祖父にあたる。三代目はご自身の娘にも「梅」と「岩」と名付けられている。その三代目の教えが代々伝わり、今の家訓になったそうである。

家訓の幹は「先義後利(せんぎこうり:正しい人の道を先にして、利は後にする)」。半兵衛氏は、この古い教えが今の時代にも相通ずるものであり、これから先、どれだけ年がたとうとも、世の中がいかに変貌しても、地球上の生物全ての生命の尊さ、それに人間だからこそできること、人の生き方などの教えの本質は、不変のものであり、忘れてはならないと説いておられる。京都五条にあるお店には、誰でもが梅岩に触れられるよう資料が展示されている。


2016年9月

(山田節子)



≪参考文献≫
 ・玉置半兵衛『あんなぁよおぅききや』京都新聞出版センター・2003年4月
 ・白川書院・『月刊京都』・2015年7月 
 ・心学明誠舎『こころをみがく。石門心学文集』心学明誠舎・2009年9月
 ・心学明誠舎『掛行灯』



≪施設情報≫
○ 浄土宗 如意珠應山極楽院 大蓮寺
   大阪市天王寺区下寺町1丁目1-30
   電:06-6771-0739
   アクセス:地下鉄谷町線「谷町9丁目」駅より徒歩約5分

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